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映画・音楽を作る・その他の話。

 ザ・ビートルズ史 下巻 あと少しで読了!

年末・年始と仕事の合間にビートルズ三昧。
今週の月曜日にも西新宿で大量に仕入れてしまい、
それらのCDをかけながらメール処理などの仕事する日々。
それにしてもつぎから次へと新譜(笑)が。。手元にあるもののカタログ化というか
内容のデータベース化なんてのもしなければならない状況か。
なにを持っているのかよくわからなくなりつつあり。
けっこうだぶっている音源もある。とはいえ、あとどんな音源が足りないんだろう?
(いや、なくてもいいんだけれど(笑))

まだ読み終わらない「ザ・ビートルズ史」下巻。
ビートルズのパーロフォンとの契約裏話、最初のレコーディングの時の細かい状況など
かなり事情がわかった。レコーディング関係の本ばかり読んでいて、エピソード的なものはあまり
知らないのでもしかしたらエピソード好きの方にはすでに常識になっている話なのかもしれないですが。

整理する。
1961年12月3日 日曜日 にブライアン・エプスタインがマネージャーになるミーティング。もしくはこの日の直後。
その前の12月1日にエプスタインは、ロンドンでEMI本社とデッカに売り込み。デッカとはオーディションの約束。
12月中旬にEMIから断りの手紙。窓口はロン・ホワイト。ジョージ・マーティンも含め当時A&Rは4人いたとのこと。
この時点でマーティンも聴いていた可能性もあるようだ。
1962年1月1日!にデッカでの「コマーシャル・テスト」
15曲をレコーディング。
1月24日、正式にビートルズとエプスタインが契約。
2月 デッカに断られる。
エプスタインは食い下がって、自費レコーディング、デッカで発売という提案を受けるが、考えた末断る。
ビートルズの価値がわからない人間と仕事をしてもしょうがないということ、そして創作活動を行うチャンスのために
商業ベースで金銭を払わせられるという考え方も受け入れられなかった。結果論ではあるけれど、英断。

困ったエプスタインは、HMVの店長 ロバート・ボースとに連絡をとり、デッカテープを持ち込む。
プロモーションのためにレコードをカッティングすることを勧められ、カッティングエンジニアのジム・フォイを紹介される。
ジム・フォイは楽曲がオリジナルであることを聞いて、同じビルに入っていたアードモア&ビーチウッドという
EMI傘下の音楽出版社を紹介。責任者はシド・コールマン。コールマンは出版を預けることを条件に
EMIのA&Rに紹介してくれるということになる。唯一アポがとれたのがジョージ・マーティン
マーティン興味なし。
一方でアードモア&ビーチウッドのプロモーターのキム・ベネットがビートルズを気に入っていた。
コールマン、ベネットなど、レコード会社のスタッブよりも出版社のスタッフのほうが、音楽の価値に気づくのが
早かったということか。。。
エプスタインはフィリップス、パイ、オリオール、エンバーなどのレコード会社にもアプローチ、うまくいかなかった。
キム・ベネットはEMIに自社制作を提案するが断られていたが、EMIの責任者のレン・ウッドがコールマンの機嫌をとるために
ビートルズと契約することを了承する。そして、ジョージ・マーティンに強制的に担当を任せることにする。理由は秘書と不倫をしていたから、その罰として(笑)。
5月9日 再びエプスタインがマーティンを訪ねる。マーティンは音を聴いても、やはりビートルズに興味はなかったがエプスタインには好感を持った。契約決定。まあ会社の命令なんだけど。6月6日にレコーディングすることにする。
当日。興味の薄いマーティンは最初はスタジオにおらず、ロン・リチャーズにディレクションをまかせる。
演奏した曲は自分たちで選曲したもの。当時の通例だと、与えられた曲を予習し、アレンジャーがたち、セッションミュージシャンを呼ぶのが普通。レコーディングする曲が決まってないにスタジオに入るというのは珍しいというか、なんというか。
マーティンはまだテストのつもりだったのか、やる気がなかったのか。
そして、ビートルズも知らなかったこととしては、出版社がかんでいるために、一曲は必ずオリジナル曲を入れなければならないという話になっていたということ。マーティンはLove Me Do にはディレクションをしたようだけれど、ピート・ベストが下手すぎて話にならず。
ただ、ビートルズ3人にはカリスマ性を感じたという話。本当だろうか?
とりあえず、この日の録音はリリースできないという判断?になったようだ。
でも、その後すぐにシングル用の曲探しをロン・リチャーズに指示しているので、
ビートルズのことを気に入ったのは間違いない。
7月 NEMSにマーティンからアセテート盤が届く。How Do You Do It。ミッチ・マレー作品。
出版社のディック。ジェイムスが気に入った曲だった。この曲をシングルにすると。
でも、ビートルズはもちろん気に入らない曲。彼らにしてはポップ過ぎ。
人の曲が嫌だということではなかったはず。カバー曲多数なので。
とりあえずは自分たちのサウンドに近づけるために自分たちでアレンジしなおす。
9月4日 二回目のレコーディングセッション。今度はマーティンも頭から参加。基本的にはHow Do You Do ItをA面として
録音するセッションの予定。ビートルズはほかに5曲のオリジナルを演奏。B面はLove Me Do ということになるが、
ビートルズはHow Do You Do Itについて気に入っていないと抗議、マーティンは却下。
でも翌日以降すぐにHow Do You Do It 案はなくなる。これまで、マーティンがやはりビートルズをオリジナルで売ろうと決めたんだろう、さすがの判断、なんて思っていたけれど、実は単に出版社のアードモア&ビーチウッドの意向だったらしい。両面をオリジナルでいくと。少なくともA面はオリジナルじゃないと出版社の儲けは少ない。またHow Do You Do Itの権利を持つ予定の
ディック・ジェイムスはB面じゃ嫌だと。
ということで、クリエイティブな判断、ビートルズはオリジナル曲がいいというような直感とかではなく、
オトナの事情的なことで、とりあえずはB面候補だった Love Me Do をA面としてリリースすることになり
B面をもう一度レコーディングすることにする。
セッションは9月11日。マーティンはやる気をなくして立ち合っていない。ドラムはセッションドラマーのアンディ・ホワイト。
B面用にP.S.I Love Youを録音。試しにPlease Please Meも録音。Love Me Do もリテイクしてみる。
この時のPlease Please Meが、マーティンにやる気を出させたらしい。1回目にも演奏しているが、この二回目の
録音ではマーティンからのテンポを上げたほうがよいとのディレクションを受け入れてのアレンジになっていた。
そして、最終的に、1962年10月5日に1st シングル Love Me Do がリリースされる。シングルはリンゴがドラムを叩いている方のバージョンだった。


これで、シングル完成に至るまでに3回のレコーディングが行われた理由、1回目と3回目のレコーディングを
マーティンがロン・リチャーズにまかせた理由、How Do You Do It がビートルズとしてリリースされたかった理由、
などなどすっきりした気分。なんでシングルのみ、リンゴのドラムバージョンになったのかは
まだわからないけれど。

それにしても、偶然の連続というか、必然の連鎖というか、
複雑な登場人物のひとつでも欠けていたら、あるいはパーロフォン以外のレーベルのA&Rにもう少し先見の明があったら、
少なくともいま聴いているビートルズは聴けなかったのだと思う。