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映画・音楽を作る・その他の話。

 劣化

久しぶりに国内出張した。
羽田も、天神の地下街もきれいになっていて
ぼくもどちらかというと、雑然としているよりも
新しい建築のほうが好きだからそれはそれでいいんだけれど
博多で屋台が減っていたりするのはやっぱり淋しいし、
きれいになれば、便利になれば、進んでいるのか というと
そうでもない部分もあるのだろう。

そんな中、行き帰りの移動で2冊本を読んだら、
偶然に共通したものがありました。
サムライと英語 (角川oneテーマ21 (B-57))
幕末のサムライがいかに海外に進出し、日本を発展させるために
英語を覚えていったかという本なんだけれど、
その行為の元となった考え方や、海外に行っても日本人がなぜ早くに受け入れられていったか(もちろん根本的な人種差別はあったかもしれないけど)
それを説明するキーワードは、やはり武士道なんだと思う。
で、それはけして武士だけのものではなく、日本人の美徳としての
「武士道」的考え方。
約束を守る。恥と思う事はしない。時間も支払いの期限も守る。
クオリティを保つ。私より公を大切に思う。
そんな日本人の気質が、極東の鎖国していた島国を50年足らずで
大国のひとつと世界に認められるところまで日本を発展させたのだと思う。
英語の「責任」という意味合いは、神に大してのレスポンスということなのだろうけど、日本人は武士として人として、まっとうなことをするように暮らしてきた。武士の一分 を守ること。
その態度に、欧米も進んだ文化的なものを感じ、ほかのアジア諸国とは違うとみたのだろう。
時代は違うけど、白洲次郎なんかは、英国でその振る舞いを覚えてきたものの
多分にサムライ的なんだと思う。
それが、いまの日本は。
美しい国とか言っている人たちのことを、どのくらいの人が信用しているのだろうか。サムライ的に見える人がどれくらいいるのだろうか。
彼らはすぐに「武士の情け」なんて使いたがるけれど、それはだいたい
違法なことをした仲間を許すときに使われる。
ウソをつく人の代表的な存在として、セイジカやヤクニンやケイサツがいるようだ。彼らに武士の一分など、ありようもない。
過去、公のため、忠のために、嘘をつかず、頑張る面をうまく利用して戦争したり、企業につくさせたりしたエライ人がいたために、逆に日本人的美徳はあまりいいものではないと、扱われるようになり、新自由主義、資本主義に対する絶対的な信頼感のもと、戦後日本は変わってきた。
で、2007年 なぜ日本人は劣化したか (講談社現代新書) と思うようになる。
日本人の学力とか知的能力とかが下がってしまったのは、
アメリカ主導の元の教育制度が一番の原因ではないかと思うけれど、
それだけではなく、昔から日本人がもっていた気質が失われてしまったからでは
ないかとも思う。
給食費を払わないで平気な親。パチンコをしていて子供を死なせる親。
そんな親にした親。そんな親を教育してきた学校や社会。
もう、根本の原因がどこにあるのかなんてたどれないくらい悲惨な状況になっているのだと思う。
まあ、いろんなこと/自分のこと、棚にあげて だけれど、
それでも文句をいいながらでも 自分は
公の義務は果たしたいと思うし、まわりに迷惑はかけたくない。
文句を言う以上、税金も年金もNHKの受信料も払うし、道路にタバコ捨てたりもしない。
でも、自分がしていることが人に迷惑になっているという感覚がない人が
あきらかに増えているのだと思う。
議員宿舎とかそのほかの特権をみてもわかるように、自分の権利とか利益が
人に迷惑をかける(税金だけじゃなくて)可能性を想像できない人ばかりなんだよね、上から順番にさ。それ見てるから庶民も劣化していく。
この本ではいい、悪い ではないとしながらも、やはり 進化でも変化でもなく
劣化なのだと 分析する。
人よりも得をしたい、人が(ずるしてでも)得をしているのをみると
それをさもしいとは思わないで、悔しいと思う、自分が損をしたと思う感じ。
まわりのことなんか気にしないけど、自分の権利だけは主張する傾向。
それが劣化。
こんな朝に、あいかわらず、妙に憤ってたりするわけなんだけれど、
このまま、日本人は劣化するしかないんだろうなあ。
とてもがっかりする。