now’s the time !

映画・音楽を作る・その他の話。

 戦後(もしかしたら明治以降)ってもっと理解しなきゃって思った。

クールジャパンとか言って、政府も経産省を中心に「文化」で商売しようと
思ってるみたいだけれど、目先すぎる気がする。
模倣される日本―映画、アニメから料理、ファッションまで (祥伝社新書 (002)) を読み直して、さらにそう思った。
元々日本なんて、ずっと中国とかの「模倣」から日本独自のやり方や
考え方を煮詰めてきて、今にいたってるわけで、それは千年とか3千年とか
かかってやってきたことでもある。
でも、明治になって、一気に西欧化しようとした。それまでの文化は全否定に
近かったようだ。天皇さえ着物は着なくなるし、明治維新の主役である「知識層」たちはそれまでの日本が嫌いでしょうがなかったようだ。
その代表ともいえる福沢諭吉は、脱亜論をとなえ、「亜細亜の東辺に一大新英国を
出現する」なんて言って、イギリスになることを目標としていた。ん?
浮世絵にしても歌舞伎にしても黒澤映画にしても、価値を見いだしたのは
西欧だった。日本はそこでお墨付きもらって、やっと国内で評価する。
そのパターンはいまだ変わっていないかも。
だから、本当は芸術面だけでなく、生活スタイル(元々日本なんてそこから
オリジナリティが始まってる。宗教感ないんだし。躾けや規範も含めてさ。)
から仕事での道徳心まで(これだけ期日や時間やお金に対して誠実な国民性はないと思う)
そこまで含めて、輸出文化と考えなきゃいけないんじゃないかな。


でも今読んでる タイゾー化する子供たち The Wandering Students (光文社ペーパーバックス) にもあるように、
日本の教育制度はけして、そんな教育をするような状況にはなく、
それは、戦後からずっとだ。
明治政府がイギリスになりたかったように、戦後の政府はアメリカになりたがっているようだ。そういえば、お札の肖像は福沢諭吉は続投になっている。
前総理は大学の後輩だったはず。
ぼくは私立には行ってないからわからないけれど、私立の人って学校の理念って
すごく身に付いているようにみえる。よくもわるくも。
亜細亜の東辺に一大新米国を出現する」って目標だったのかな、やっぱり(苦笑)